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英語でも、「not only」とくれば、「but also」につづくように、「たかが○○」とくれば、「されど○○」というように使われます。「そんなもの、たかが○○じゃないか」という人は、「とはいっても、されど○○」という心理を隠し持っているとみていいでしょう。
「たかが数十万円の小さな契約じゃないか。そんなもの、ご破算になったからといって、たいした痛手じゃないさ」 そんなふうに周囲にいう、あるいは自分に言い聞かせる人は、実はその「契約ご破算」にかなりのショックを受けているとみていいでしょう。 たとえば、古くからの大事なお得意さまだったとか、個人的にも懇意していた担当者を怒らせてしまったとか、何か重大な事情があるのかもしれません。
そうした心理は、なにも現代人だけでなく、人間が本来持っているものだと、フロイトはいいます。人間には不安な状態から自我を守るための防御規制というメカニズムがあり、そのひとつが、この「合理化」だといいます。 たとえば、イソップ寓話で、高いところにあるブドウをとることができないキツネは、「あれは、すっぱいブドウだ」と自分に言い聞かせます。 そうしてキツネは、自己の欲求が満たされなかったことに対して、都合のいい理由をつけて、あれは「合理的なことだった」と自らを納得させようとしていたというわけです。 もちろん、「合理化」は悪いことではありません。精神的ダメージを受けた際に、そのショックを軽減するには、実に有効な手段です。観察する側にとっては、このメカニズムを知っていると、人の深層心理を読みやすくなります。 「たかが酒場の女じゃないか」と水商売の女性を蔑む人は、キャバクラ嬢に言い寄ってはいても、つれなくされているのかもしれません。 「ゴルフなんて、たかが遊びじゃないか」とうそぶく人が、実は本当は興味があって、始めたらハマッてしまった、などということもあります。 「たかが○○」にはウラがあるものです。 |
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