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人と人とが向かい合えば、そこに会話は自然と生まれます。自分のことをわかってもらおうとして、また、相手のことを理解したいと思って、私たちは言葉と視線を使って心の交流に努めるわけです。 会話を成立させるためには、お互いに話し手と聞き手という役割をこなす必要があり、それは会話の流れの中で、一方が話し手を演じるとき、もう一方は聞き手に徹するという役割があります。 そこで興味深いのが、会話中に視線がどこを向いているかということです。 基本的には、聞き手の視線は話し手から視線を外さないし、話し手のパフォーマンスが続く限り離れることはありません。つまり、じっと話し手を見つめ続けるということです。 逆に話し手の視線はというと、聞き手をじっと見つめることはなく、視線をあちらこちらに向けているはずです。もちろん、相手の同意を求めたりするときは、聞き手に視線を向けたりします。
話し手が視線をあちこちに移すのは自然な行為です。話の要点をまとめたり、いかにわかりやすくアレンジしようかと思いをめぐらせたりして、相手がどう思っているのか、まわりの状況はどうなっているのかをチェックする必要があるために、その心の動きに合わせて視線が動くのです。 ところが、話し手であるにもかかわらず、聞き手をじっと見つめながら話を進めていく人がいます。聞き手の視線は話し手に向いているわけだから、聞き手もじっと見つめながら話を進めていく人がいます。 聞き手の視線は話し手に向いているわけですから、聞き手としては非常に居心地の悪い思いがします。かといって、聞き手は目をそらすこともできません。
話し手が聞き手から視線を外さないのは、まず、聞き手に忠告を与えたり、聞き手に厳しく言い聞かせたりする場合です。これは、親から子、上司から部下などの間で見られるシーンです。
また、話し手の心理状態が不自然な場合も同様の現象がおきやすいです。たとえば、嘘を見破られたくないときや、話を大げさに誇張して話すときなどです。 なぜ会話の支配者であるにもかかわらず、まるで従属者のようにふるまって聞き手の動向を探るようなまねをするのかというと、自分の話の内容を信じてくれているかどうか、不安を感じているからにほかなりません。 自然に会話をするときは、視線の向かう先を意識することなどないはずですが、心が動揺しているときは、妙に気にかかるようになります。すると、どこに視線を向ければいいのかと迷ったあげく、聞き手を見据えてしまうのです。 (ここで視線を外してしまったら、自分の話の内容が疑われるかもしれない) (こうして見つめていれば、反撃されることはないだろう) このような動揺を見透かされまいとして、かえって不自然な状態を作り出してしまうのです。 忠告や命令ではないのに、視線を一度も外さないまま話し続ける人には注意が必要です。あなたを好きなわけではないのです。話に嘘や誇張が混じっているかもしれないと疑ってみたほうが無難です。
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